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じわっと奥深い、日本語の魅力

弁護士 浅野 喜彦

日本語というのはおもしろいもので、この年齢になっても新たに勉強させられる言葉がたくさんあります。

1 意外な発見

私の場合、代表的なのは「独壇場(どくだんじょう)」です。本来は「独擅場(どくせんじょう)」という言葉が正しいのですが、しばしば「擅」と「壇」が取り違えられて「どくだんじょう」と発音されます。最近では、「どくだんじょう」を用いる人があまりに多くなったため、ついにその地位が認められ、NHKでも使用されているといいます。なまじ「独占(どくせん)する」という言葉があるだけに、今さら「どくせんじょう」を使うと、かえってこちらが間違いだと言われそうです。

「穿(うが)った見方」については、最近まで真相を知りませんでした。文化庁のホームページによれば、この言葉は「物事の本質を捉えた見方」という意味であり、「疑ってかかるような見方」という否定的なニュアンスはまったくないそうです。しかし、同庁がおこなった世論調査では、前者の意味を回答した人は約26%であったのに対し、後者の意味を回答した人は約48%にのぼったといいます。

恥ずかしい話ですが、このほかにも私の知らない言葉の間違いはたくさんありそうです。しかし、それもまた日本語の面白いところでしょう。

2 小さなこだわり

⑴「れる」の台頭

近頃さかんな「れる」「られる」論争についても、ひとこと触れないわけにはいきません。

「見れる」「考えれる」などの「れる」ことばを支持する主張に、可能(~することができる)を表す「られる」と受け身(~される)を表す「られる」は混同されやすい、というものがあります。また、言葉は時代とともに淘汰されてゆくものであり、可能の「られる」は発音しにくいので、将来的には使われなくなるだろう、という見解もあるようです。

 私も、可能の「られる」が淘汰されてゆくというなら、(自分が使うかどうかは別にして)いずれ「見れる」「考えれる」を受け入れていかなければならないのだろうと、覚悟はしています。

⑵私の疑問

しかし、私の疑問は、そもそも可能と受け身はそれほど厳密に区別されるべきなのか、その境界が曖昧であったり両方のニュアンスを含む場合があったりしてもよいのではないか、というところにあります。

 たとえば、秋の終わりころ、「近ごろは寒くなったので、街へ出ると、コートを着て歩く人の姿が見られる」と言った場合、皆さんは、この「見られる」をどのように解釈されますか。

 私は、これを可能の意味と解した場合、話者がより積極的に街の様子を観察するようなニュアンスが感じられると思います。また、文脈によっては、季節の移り変わりを愛でるような、一種の風流を読みとることもできるでしょう。

 対して、これを受け身の意味と解すると、コート姿の人たちは、話者の意思とは無関係に、自然と目に入ってくるニュアンスを感じます。その場合、季節の移ろいはむしろ、人智を超えた自然の摂理という捉え方がふさわしいかもしれません。

 私は、この2つの心理状態を、無理に区別する必要はないと思うのです。「見るともなしに見る」という言葉があるように、多くの人は能動と受動の狭間で街を眺めています。自然に対しては、喜び、賞賛、畏怖、尊敬などがないまぜになった、何とも説明しがたい思いをもって四季を味わうのではないでしょうか。さらに、人によっては、「見られる」という言葉を使う場合、その意図を聞き手の想像力に委ねているのかもしれません。

⑶私のこだわり

 そう考えると、「れる」と「られる」を峻別してゆく昨今の傾向は、合理的ではあるのかもしれませんが、あじわい深い言葉を一つ失うような気がして、寂しさを覚えます。

 可能と受け身を兼ねて「られる」を用いることは、用法としては正しくないのかもしれませんが、曖昧なニュアンスを一言で表す絶妙な表現です。時代には逆行するようですが、私自身はこの便利な助動詞が好きなので、もうしばらくの間は使っていこうと考えています。