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弥生時代の雰囲気を感じて (吉野ケ里遺跡訪問)

弁護士 岡本 浩

 2025年10月12日、佐賀県にある吉野ケ里遺跡を訪ねました。ここは、私が巡っている日本100名城の一つに指定されており、スタンプラリーを完遂するために訪問不可欠の場所であることが、訪問の一つの理由でした。それに加え、私の趣味の一つである歴史探訪からして、日本史上の大論争の一つである邪馬台国の所在場所(-いわゆる九州説と畿内説の対立-)につき、九州説をより有力な説に高めたと解される吉野ケ里は、ぜひとも訪ねたい場であったからです。さらに、小学三年生の孫に、歴史に対する興味の扉を開かせてやりたいとの思いも、この旅の理由でした。

 この遺跡は、所在地域一帯が工業団地の候補地となったことより発掘調査が実施され、その結果として弥生時代の貴重な遺跡であることが判明し、日本中の大ニュースとなる一大発見となったものです。

 現状は、広大な一帯が吉野ケ里歴史公園として整備され、発掘された柱跡から想定される多数の建物や望楼が再現されており、弥生時代の「クニ」の様相を想い浮かべられる状況になっています。再現され登れるようになっている望楼(-15m位の高さ-)からは、佐賀平野を一望することが出来ました。この上から兵士が周辺を見張っていたのかと想像すると、弥生時代の空気や雰囲気を感じる思いに浸りました。

高さ約15m位の望楼

祭祀用の建物

 また、発掘された多数の甕棺(死者の埋葬用の土器)や銅剣・管玉・農耕具等の展示館もよく整備され充実していました。これらを見ていると、この時代の人々の生活ぶりが眼前に想起されて来るかの想いがしました。さらに、遺跡の北部にある大墳丘墓は、身分の高い人物の墓所群と考えられているようですが、甕棺による埋葬の様子が具体的に想像される思いにされました。この墳丘墓は全体が発掘され、その上をガラスでカバーし上から見ることが可能なように保存されていて、実に見応えがありました。規模は及びませんが、兵馬俑が並べられた秦の始皇帝陵を想起させられる思いでした。

修復された甕棺(出土物)

 この遺跡を訪ねると、ここが女王卑弥呼の邪馬台国であったか否かはともかくとして、今から1800年前・後頃の弥生時代における小国家「クニ」の中心であったであろうことは確信できるものでした。この時代、このような小国家「クニ」が九州の各所に誕生し、やがてその集まりがヤマトとしての単一国家へと進展していったのだという、歴史のドラマに想いを巡らせる有意義な旅の一日でした。多忙の日々を過ごしている中で、日常とは全く違うこのような時間を過ごせたことに感謝をしつつ、この地を後にした秋の一日でした。

 

【追記】

 この公園の中で開催されていた特別展の会場にて

   『三国志』魏書東夷伝倭人の条

     通称『魏志倭人伝』

      原文・読み下し文・註釈

と題するパンプレットを入手できました。

 『魏志倭人伝』は、高校までの歴史の学習の中で必ず登場する名前ですが、その詳細な全文を前にすることは、なかなか無いと思われます。今回、この漢文の全文に加え、読み下し文(日本語に読み直した文章)と註釈を入手することが出来、少し興奮しています。全文を読んでみると、当時の「倭」の具体的様相が詳しく書かれており、「よくぞ書き残してくれた」と、中国の歴史書に感謝する思い大でした。