コラム
column
ウズベキスタンを訪ねて
まえがき
前回コラム執筆(2024年8月30日)から今回の執筆までの間、衆議院議員選挙・アメリカ大統領選挙・兵庫県知事選挙と、社会の大きな関心を集めた件が続きました。これらの結果は、私からすれば、全て「?」のつく結末となりました。したがって、本来から言えば、これらに関する私の思いや論評を書きたいところです。しかしながら、テーマが大きく、コラム欄の限られた字数では思いを正確な文書としてお伝えすることが困難です。そこで、これらについては別の機会に譲ることとし、政治とは直接に関係のない、旅の話を書かせていただくことしました。
ウズベキスタンって何処
2024年9月30日(月)から10月5日(土)にかけて、ウズベキスタンを訪ねるツアー旅行に参加しました。ウズベキスタンは、旧ソ連の構成国でしたが、1991年に独立し、今では中央アジアにおける有力国となりつつある国家です。とは言っても、この訪問の話をすると、「ウズベキスタンって何処にあるの?」との質問を、大方の人が発してきました。そこで、「イランに近くアフガニスタンと国境を接する国」と答えると、どの辺に位置する国であるか、殆どの人に解ってもらえました。
何故にウズベキスタン
さて、何故にウズベキスタンを旅行先に選んだかです。一つは、西安(中国)に発しイスタンブール(トルコ)に至る、シルクロードの中間点として栄えたオアシス国家の所在した国であるからです。2008年に西安を旅行した際、シルクロードの中間の町・さらには終点のイスタンブールへは、いつか必ず行こうと決心していました。そして、いま一つは、北方謙三氏による全17巻の大作「チンギス紀」を読了したことからです。この大作に描かれた、チンギスハンの西方侵攻の際における、激しい攻域戦の舞台となったブハラやサマルカンドといった町を、実際に見てみたいとの思いに駆られた次第です。
(参考)ブハラやサマルカンドは、城壁に囲まれたシルクロードのオアシス都市であったところ、チンギスハンの侵攻により、大破壊を受けました。
異境感を満喫
ウズベキスタンへは関空よりの直行便はないので、ソウル乗り継ぎにて、同国の首都であるタシケントに入りました。そこから列車・バスにて、ブハラやサマルカンドへ向かうこととなりました。タシケントからブハラへは特急列車で4時間の移動でしたが、延々と続く荒涼とした大地の続く車窓(以下の写真)に、日本と全く違う様相の異国を実感しました。
緑の山々や田畑・そして町々を、次々と車窓に見る日本の列車旅行を思い起こし、水と緑に恵まれた日本の国土の有りがたさを再認識させられる思いでした。さらに、雨の少ない国であることから、川が極端に少ないということで、この列車移動中に川を横断又は見ることが一度もありませんでした。川(日本の川で言うと紀の川の支流に当たる位の規模の川)を横断したのは、この旅でたった一回きりでした。これも驚きでした。ちなみに、雨が少なく木が育ちにくいこと、及び石材が豊富なために、この国で高価な資材は木材、安価な資材は大理石とのことでした。また、蒙古軍の破壊の後に再建されたブハラやサマルカンドといった町では、鮮やかな青いドーム屋根のモスクとイスラム特有の塔の景観に魅せられました。快晴の真っ青な空と太陽の光で青く輝くドーム屋根のモスク(以下の写真)は、観光紹介の写真以上のものであり、中央アジアまではるばる来たことに報いられる思いでした。なお、サマルカンドでは、蒙古により破壊された町を囲む城壁が、今も崩れた土の塊の連なりとして残っている様を遠望することができ、今回の旅の目的を達成することができたかの思いに浸りました。
新たな知見
第二次世界大戦の末期に満州に侵攻したソ連軍の捕虜として捕らえられた何千人もの日本兵が、シベリアを経由してウズベキスタンへ連行され、そこで強制労働に服せられたという歴史があります。この日本兵のうち何十人もの人々が、粗末な食事と激しい肉体労働のために故郷へ帰れることなくこの地で没した事実があります。これらの日本人を弔うための日本人墓地が首都タシケントにあり、そこを訪ねました。こうした人々の苦しみ・悲しみに想いを至らせると、観光でこの地を訪ねていることへの自虐の思いにも駆られました。
なお、こうした日本人捕虜の労働によって築かれたオペラハウス(以下の写真)を訪ねたところ、その壁面にこれら日本人の誠実な仕事を顕彰する記念プレートが埋め込まれていました(以下の写真)。このプレートを見て、前述の自虐の思いを少しは薄めることができた次第です。
また、蒙古の破壊の後にティムール(現時の評価でアフガニスタンの英雄)によって建国されたティムール帝国が、中央アジア一帯を治める大国家になった歴史があったことについて、今回の旅で初めて知識を得ました。ヨーロッパに偏った歴史勉強を反省。
次なる訪問地への想い
ところで、アフガニスタンに隣接する国(なお、この国とウズベキスタンとの国境は、閉鎖されているとのことでした)ということで、出発前は家族より治安の心配をされました。しかし、現地でその面での心配・不安は全くありませんでした。町の中やホテルのロビーで泥棒の心配が常にあるパリやローマといったヨーロッパの国々より、はるかに安全で、その点では日本と何ら変わらないなとの思いでした。中央アジアの国々に対する日本での我々の認識は、もう少し改める必要があるのでないかと痛感。
今回の旅行でシルクロードの中間点を体感できたので、いずれの日にか、その終点であるイスタンブールを必ず旅行しようと決意し、旅行書やパンフレットで、イスタンブールを旅するイメージに浸っているところです。