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法律家向きの性格とは

弁護士 浅野喜彦

    高校生のとき、英語の先生から、「おまえは理屈っぽいから、大学は経済学部よりも法学部のほうがよい。」と言われました。なんでも、法律学という分野は物事を純論理的につきつめて結論を得るのに対し、経済という分野は日常生活や商売ごとを相手にしているため、理屈だけではなく柔軟性が求められるので、私には向かないという話でした。私は、自分が本当に理屈っぽいかどうかはともかく、先生のいう法律と経済の違いについては、なるほどと思ったものです。

 その助言を真に受けたわけではありませんが、私は法学部に進み、弁護士になりました。しかし、実際のところ、先生が言われたことは、現実とは少し違っているのではないか、という気がします。

 私が大学一年生のときに受けた授業で使用された教科書には、次のように書かれています。

 

「法律学は...(中略)...実践学(=人間の行為を対象としているために、だいたいにおいて真であるような前提から出発して、それよりも善いものがない結論に到達すれば、それで十分だとせざるを得ないもの)に属する学問です。その本来の任務は、科学的真理の探求という認識的機能ではなく、法的問題の適正な解決によって社会のさまざまの利害・意見の対立や紛争を調整するという実践的機能にあります。」

 

 この記述によれば、先生の言われたこととは反対に、むしろ法律学のほうが、理屈だけでは通用しない、柔軟さを必要とする分野であるように思われます。他方で、これを読んでいると、法律や裁判が、何だかいい加減なもの、あるいは、あいまいな理由で適当に事件を片付けるようなものに思えて、不安になりますね。しかし、この点について、著者は次のようにも述べているのです。

 

「法律学の方法が、自然科学や数学・論理学のように、真偽が二値的に決まる結論をもたらすものではないことに何ら劣等感を抱く必要はないのです。むしろ、権力や強制と深く関わりあっている法システムの運用過程を、ここまで合理的に構造化し制度化してきた人間の叡智を誇りに思うとともに、法的問題の適正な解釈が直接的には法を用い動かす人々の賢慮にかかっていることの責任の重大さをかみしめながら、法律学を学びたいものです。」

 

 難しいようですが、要するに、法律は人間を相手にしている分、論理的にすっきりしない部分もたくさん出てくるけれど、それが決して低俗なものとはならないよう、人類は知恵を絞ってこの分野をできる限り合理的に整理し、立派な学問体系にまで高めてきた、ということでしょう。私は、法律学のそういうところに、たいへん魅力を感じるのです。

 さて、元へもどって、私が法律家に向いているかどうかですが、これは未だによくわかりません。このような議論をしていること自体が理屈っぽいというのであれば、先生の言われたことも、ある程度は的を射ているのでしょうか。私は弁護士を始めてまだ12年ですから、あと20年くらい経験を積んだら、あらためて考えてみたいと思います。

 

※引用:田中成明ほか著「法律学入門」より